【感想】すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ【映画】

こんちは。三千院ナギです。

 

ツギハギ工場のふしぎなコみてきました。

良い話だね。うんうん。

 

映画なので順を追って感想書いていきます。

 

 

 

(1)しろくま、お前そんなバックグラウンド持って単価・・・。

しろくま、寒いの苦手ってのは知ってたんですけど、

 

・双子で

・何も言わず家飛び出してきてて

・お前よく見たら冬毛?生えてないやん・・・

 

ってのは知らなくて、

色々想像しちゃいました

特に皆が雪の中楽しく遊んでいるところを、家の中から眺めているシーン

せ、切なすぎる・・・

 

他人を羨ましく思う気持ちを前面に感じたシーンでした。

でも、その原因が「寒さ」にあるって自分で判断して、

多分なんやかんや経て、家を飛び出して

そして今があるんだとしたら、

それもうお前の力だぜ。逃げなんかじゃないぜ。

しろくま・・・。よくやったよ。行動に移せたんだな。

 

(2)おもちゃ工場について

ノルマがあって、

朝体操して、各々の配置について、

MVPを何度とったか見える形で出されて・・・。

 

これ典型的な昭和型の日本企業でワロタ。

 

大前提に「忘れ去られた工場」という側面があるので、

製造工程なんかも凄く昔な雰囲気でもおかしくないな、と思いました。

(僕、工場で働いたことないので、

 もしかすると工場の現場では今でもこんな感じなのかもしれませんが・・・。)

 

で製造商品が「ぬいぐるみ」を主軸に

「ロボット」だったり「怪獣」だったりするのもこの歳になるとなんか

エモく感じる。昔買ってもらってたなーみたいな。

今の子供ってそういうの買ってもらって喜ぶんだろうか?なんて、

そういう邪推もしてしまったりw

 

まとめると、ノスタルジーな感じですね。

 

(3)おもちゃ製造しすぎ故に起きた諸問題について

工場にスタンプを押されたぬいぐるみたちがのきなみ

 

「遊んでー」「遊ぼうよー」

 

と言っていたのがくるしい。

街の人たちは大体もう幼少期を越えてて、

遊んでーというぬい達をこわがる。

 

後から振り返ると、

工場は「かまってほしかった」「さびしかった」から、

その出力の結果として「遊んでー」と叫ぶおもちゃたち

という出力になったんだろうと思うと、

せつなかったですね。

 

(4)しろくまが手を差し伸べる。

じゃあ、そんなツギハギ工場に誰が手を差し伸べるのか。

 

この物語は「しろくま」が手を差し伸べないといけないんですよね。

他のキャラじゃダメなんです。

理由がいくつかあって、

 

1:しろくまがくまの人形をずっと捨てずにもっている

2:しろくまはずっと人形と遊んできた

3:しろくまは人形のボタンを「探すために」工場にきた

(=しろくまはこの先も、人形を大事にしたいというWILLがある

 

というのが理由です。

だから、工場の「さびしい」「もう1人はいやだな」という気持ちに

渾身の「すてないよ」を言えるのはしろくまなんだなと。

 

工場も、しろくまの持つ人形も「ツギハギ」。

ツギハギな理由って背景違えどそれぞれ「理由」があって、

そこには人の願いが込められているんですよね。

 

手が入って手が入って手が入って・・・。

でも理由は変わらないんですよ。

工場なら、「良いものをもっと多くの人に届けたい」。

しろくまのぬいぐるみなら「僕の友達であってほしい」、とかですかね

 

そういう思いがツギハギには込められてて、

形ちがえど、理解ができるのはしろくまだと思うから、

そのしろくまからの言葉も響くのかな、と。

 

(5)じゃあ、しろくまはなんで人形を家に置いていったの?

しろくまがそもそも、

あたたかい地を求めて家出したとき、

なんで人形を家においていったのさって疑問は残り続けますよね。

これは僕の中で決着をつけないと、と思って考えました。

 

僕はこの点かなり好意的に解釈していて、

しろくまは、友達を作る為には、

 今ある殻を破らないといけないと思ったのではないか?

という推察がかなり強いです。

 

つまり、

「いつまでもぬいるぐみのくまさんは

 僕の友達でいてくれるけど、

 それだと僕はずっと家の中から外で遊ぶ他のコたちを

 羨ましそうに見ることしかできないんだなって

っていう気づきなんじゃないかなと思います。

 

だから、しろくまの「寒くない場所に行く」って決断は

「家の外に出る」ってことで、

それは大きな一歩なんだってことなんですよ。

 

そして、だからこそ、

家の中で友達だったぬいぐるみは置いていく。

なぜなら、

 

ぬいぐるみはしろくまにとって最高にいいやつで、

 ずっと一緒にいられるから」。

お前がいたら、決断が鈍るよね。

新しい友達が出来なくても、お前がいればそれでいいってなるよね。

そういうことなんじゃないかなあと好意的に解釈している。

 

で、これって「別にお前と友達やめたわけじゃない」ってのが

とても重要だと思ってます。

それが「すてないよ」につながるのかなと。

「四六時中ずっと一緒にいるってのが、

 1人じゃないってことじゃないんだよ」ってメッセージを勝手に受信しました。

 

 

(6)総評

 

こういうおもちゃを捨てる/捨てない系は弱いです。僕。

昔からモノを捨てられない性分なんですけど、

「いつか使うかも」とかだけじゃなく、

「捨てるのかわいそう」という思いもどこかにあるんですよね。

おもちゃに感情なんてあるわけないじゃん!って言われると

それまでなんですが、

そう感じる主体は「自分」なんだから、仕方ないじゃん・・・。

 

というか思えば、ソフビ人形とか、

自分から捨てたことないかも。親に捨てられて、後からキレるみたいなのは

一杯あったw

 

話それましたけど、

しろくまにとって、くまのぬいぐるみは紛れもなく「友達」だったんだと思うし、

くまのぬいぐるみも「遊んでほしい」って多分思ってて、

だからこそ街にああいう形で発露して、

その想いが両方向であるうちは、お互いを大切にできたらなって思いました。

 

そしておもちゃから「遊んでほしい」と感じる主体は自分なので、

自分がこの先も「大切にしたい」と思うなら、

それはもう両想いだし、大切にすべきだなと。

身の回りの物を改めて大事にしようと思えました。

 

追伸

ボタン、結局どこいったん?